今日は新しいスーパーコンシューマーにお話を聞かせていただきました。コーリン色鉛筆の壮絶なストーリーをお楽しみください。コーリン色鉛筆の歴史はめちゃくちゃ面白い。読まないと後悔しますよ。
それにしても、朝早いですよね。
そうですよ。南さんと会うときは、いつも朝7時とか8時やから眠くて仕方ない。前回の収録を聞いたら、自分のテンションの低さに驚きましたよ。
わはははでしょ!たまにテンション低いときありますよね。
前回はね、収録後に、南さんが、「今日よかった?今日よかった?」って何度も聞いてたんですよ。 あれは僕のテンションが低すぎたから不安に思ったんや。と後で気づきましたよ(笑)。
わははは
コーリン鉛筆に恋したケロ556
今日はなんと!新しいスーパーコンシューマーをお呼びしています!なんてお呼びしたらいいですか?
ケロ556と申します。
どういう意味なんですか?
ハンドルネームなんですけど、特に意味はないです(笑)。
わはははは
ないんですか!
はい。5、6年前から個人活動名として使ってます(笑)。
じゃ、ケロ556さんってお呼びしたらいいんですよね。
はい、ケロさんでいいです。カエルでもいいです。
分からなくなるので、ケロさんで行きましょう(笑)。
それにしても、みんな関西弁ですね。
実は、2年前までずっと関西に住んでました。
僕も東京に来たのは3年前ですよ。
僕は5年前かな。みんな関西弁だから、この収録は関西でやってるみたいですね。
いや、東京です!
北青山です!
そんな感じしないですよね(笑)。
お洒落な場所なのに(笑)。
コーリン色鉛筆マニアのケロ556
ええと、本題に行きたいのですが、ケロさんは文具マニアなんですよね。
マニアックかと言われると困るんですが...。文具というと、万年筆とかボールペンとかいろいろあって、幅が広いじゃないですか。私は文房具の中でも、木でできた鉛筆が大好きなんです。そして、その中でも、コーリンという鉛筆が昔から大好きなんです。
コーリンっていうのは鉛筆メーカーですか?
はい。コーリン鉛筆は大正十何年ぐらいに出来た、割と古い会社なんですが、12年前に倒産してしまったんです。
12年前に倒産したということは、最近の人はコーリンを知らないんですよね?
20代の人は知らないんじゃないですかね。30代中ごろより上の人ならご存知だと思います。こういうのを言うと年齢がバレてイヤなんですけど...。
わははは
ちょうど僕らは30代半ばなんですけど、僕は全然分からない。
僕も分からん。じゃ、ケロさんは鉛筆の中でもコーリン鉛筆を愛してやまないんですか?
愛してやまないです(笑)。
なんでなんですか?
小さいときに、近所の文房具屋にコーリン鉛筆の看板があったんです。それがあまりに恐ろしい顔だったんです。
コーリンのマークを知ってます?
知らん。
三角顔で、一応、西洋の美女っていう設定らしいんですけど、どこが美女やねん。という顔をしてるんです。あごが出てて怖いんです。
ああ、頂いた名刺に書いてる。これですか?三日月みたいな感じですね。
そうなんです。これが子供心にものすごく怖かったんです。更に、文房具屋の前のとんがっている看板で頭を打ったんです。
わはははは
ものすごく痛くて、なんやねんこれ、って思ったんですが、鉛筆が好きだったので、この恐ろしいマークが気になって、ずっと使ってたんです。三菱やトンボもあったんですけど、この顔に惹かれてずっとコーリンが好きだったんです。
きっかけはこのマークなんですね(笑)。
はい。それで、しばらく忘れてたんですけど、大人になってインターネットと出会ってから、ふと思い出して、今どうなってるのかグーグルで調べてみたんです。そうしたら、倒産してたんです。 それはそれは、焦りました。「会社がないやんけ」と思って。で、私はコーリンの鉛筆たちを集めはじめたんです。
コーリン博物館を作るために、鉛筆を買い占める!
鉛筆を集めたのは、後世に残したいからですか?
ちらばっているものを1箇所に集めて、あわよくばコーリン博物館を作りたい、と思ったんです。思い込んだら一直線で、ガンガン集めました。
わははは
集められるものなんですか?鉛筆って消耗品じゃないですか。
鉛筆業界では3番手だったので、売れ残りがあって、古い文房具屋に在庫が残ってたんです。いろんな文房具屋に問い合わせして、買いに行きました。古道具屋さんが買い占めて、ネットオークションに出したりするものも片っ端から、上限3万円で買ってましたね。
何の上限ですか?
1つの鉛筆に対して。
えっ、鉛筆1本が3万円?
わははは
はい。1本です(笑)。それで、ずっと鉛筆を集めてたら、タンスに2竿ぐらいになったんです
わははは
鉛筆だけじゃなく、シャーペンとか芯ホルダーというマニアにはたまらないものも集めてました。
あっ、芯ホルダーって、短くなった鉛筆の後ろにつけるやつですか?
それはエクステンダー。
あ、違うんや(笑)。
シャーペンの芯って普通0.5mmなんですけど、鉛筆の2mmの芯を入れるものなんです。
メタルのヤツですか?
はい、メタルのヤツです。
ああ、あった、あった!シャカシャカやるやつですよね。
シャカシャカというよりは、シャカとやるとドンと芯が出るやつです。
ああ、なんかありましたね。それが芯ホルダー。そのままですね(笑)。
他にも、手回しの鉛筆削りとかも集めてました。男の子なら、F1の車の模様が描いてるやつとかね。
懐かしい。
あったねえ。
そういったものを集めてたんです。金額でいえば、軽自動車は軽く買える金額がかかりました。1年半ぐらい気が狂ったように買ってました。
わははは
ほんでほんで?
買っただけでは面白くないじゃないですか。
そらそうですよ。博物館を作らないと!
コーリン鉛筆のブログ!コーリン鉛筆カタログ化計画
みんなに見せたい!でも、博物館を建てるお金はないので、ブログにしたんです。
なるほど!
実は、コーリンさんはカタログがなかったんです。だから、コーリン鉛筆カタログ化計画というブログを作って、週に何回か、どうだ!、って言いながら、鉛筆自慢をしてたんです。
わははは
それは、いつぐらいですか?
4年ぐらい前です。コーリンのことなら私に任せてくれ、っていうぐらいになろうと思って頑張ったんです。みんなに、こんないい商品があったんだよ、って伝えたかったんです。社員でもなんでもないんですけどね(笑)。
すごいなあ。それをずっとやり続けてたんですか。
神戸でコーリン鉛筆の個展を開催
ずっとやってました。しまいには鉛筆個展を始めたんです。 神戸の港通りでコレクション展をやりました。
鉛筆がズラッと並んでいるんですか?
ズラッと並んでいるんです(笑)。
普通の人が見ても分からないですよね?
分からないでしょうね。何?って感じだと思います(笑)。
商品数はどれぐらいあるんですか?
数え切れないです...。
でも、たぶん、マニアは、分かるんですよね。
そうですね。分かりますね。JISが付いてるから何年以降とか。顔の向きがこっちだから、何年モデルとか。
顔の向きが変わるんですか?
左向きのときとか。
わははは
ブログや個展でコーリンの交流とかは生まれなかったんですか?
それが、生まれたんですよ!
タイのコーリンとの衝撃の出会い
あるとき、インターネットで日本語だけでなく、英語ページも探してみようと思ったんです。そしたら、タイにコーリンがあることが分かったんです。
日本で倒産した会社が?
はい。そうなんです。早速、英語でメールを書いて、問い合わせてみたんです。
なんて送ったんですか?
あなたは何?って。
わははは
私のコーリンの何?みたいな(笑)。
そう。日本のコーリンと関係があるの?って送るんですが、向こうはタイ人なので英語が読めないんです。だから、全く返事が返ってこない。で、私は毎週のようにしつこくメールを書いてたんです。
スパムじゃないですか!
わははは
でも、全然応答がなかったんです。毎年、夏にISOTという国際文具紙見本市があるんですけど、キーワード入れてみたら食いつくんじゃないかと思って、ISOTというキーワードを入れて送ってみたんです。
「もうすぐ、ISOTがありますが、御社はISOTにブースを出したりしないんですか?」とか、「視察に来たりしないのですか?」と送ったら、ISOTというキーワードに引っかかったんです。 こんなことを言ってる日本人がいるけど、どうやねん。と担当者が工場にメールを転送したみたいなんです。そうしたら、工場に日本人が1人いて、やっと連絡が取れたんです。
すごいな。それがいつぐらいですか?
3年前の6月ぐらいです。で、よくよく話を聞くと、その日本人は、倒産したコーリンの社員だったんです。 日本のコーリンが倒産する直前に、日本はタイに工場を作ってたんですが、その方はそのタイ工場に赴任してたんです。
タイのコーリンは日本が作ったんですか?
タイでは100%日本資本では会社を作れないので、日本コーリンとタイが出資して、タイ工場ができたんです。 日本コーリンが倒産してしまったので、タイのコーリンはタイ100%の会社になりました。そこで、彼はタイ人を指導しながら、鉛筆をずっと作り続けてたんです。
すごいですね。
その人と出会ってしまったんですね。盛り上がりそうですね(笑)。
それはそれはすごい盛り上がりました。 実は、その日本人は私のブログを知ってたんです。「ああ、あなたか!」ということになりまして、ISOTの7月のイベントで会ったんです。わざわざ関西から東京にやってきて、イベントに参加しました(笑)。
それでどうなったんですか?
コーリン話で盛り上がりました。過去の経緯も聞きました。そして、「これからタイコーリンはどうなるんですか?」って聞いたんです。 そしたら彼は、日本で生まれたコーリンというブランドを今はタイでずっと作ってるけど、いつか日本に戻したい。と言うんです。
もう一回コーリンを日本で売りたいと。
それが、僕の使命だって言うわけですよ。それはコーリン好きにはたまらないですよね。
すごいな。それはたまらないですよ。
それで、是非私にやらせてください。と言ったんです。
その時に言ったんですか?
はい。
そのとき、初対面ですよね。
はい。
わははは
コーリンがISOTに出展
コーリン好きは世界を繋ぐと思ってました(笑)。日本のコーリンファンの代表1号なんで、是非私に手伝わせてください。っていうことになったんです。 そして、コーリン色鉛筆という名前で設立準備室を立ち上げて、1年後のISOTにコーリンが出展したんです。 そこで、私は、3日間、会場でお手伝いしたんです。
説明できますもんね。
すごいなあ。ええと、コーリン色鉛筆って言いました?
はい。日本での会社名はコーリン鉛筆ではなくコーリン色鉛筆にしたんです。
その2年前に、日本にオフィスはあったんですか?
全くないです。バーチャルオフィスです(笑)。
じゃ、2人でやったんです?
愉快な仲間たちとやりました(笑)。
いっぱいいそうですね(笑)。そのときの反応はどうだったんですか?
すごいよかったんです!みんな懐かしいって言ってくれました。
マークが懐かしいって?
はい。それで実は、タイに残っていた日本人は、日本向けのクオリティを出すために、色鉛筆の芯を作る製造工場をタイに新しく作ったんです。
日本のクオリティは高いですもんね。
日本で流通しているクオリティに負けるようでは話にならないので、ナンバーワンの色鉛筆の芯を作るために、1年の間に工場作ったんです。
すごいなあ。
立ち上げには、ケロ556という個人で参加しまして、その直後に「やります!」と言って、東京に来たんです。
じゃ、今の仕事はコーリンなんですか?
実はそうなんです。立候補しました。
そうなんですか!最適な人ですもんね。昔があって今があるわけで、その歴史を知ってる貴重な人ですもんね。
しかし、大阪から東京に来るのがすごい!引越しして来るんですよ!
コーリンのために仕事もやめて引越ししてきましたね(笑)。それまではバーチャルな団体だったので、法人化しまして、今は社員として働いています。コーリン好きが高じて、押しかけ社員です(笑)。
すごいですね。今は会社には何人ぐらいいるんですか?
ん?
おっ、聞いたらあかんかった?初対面なもんで、OKラインが分からなかったもんで...。
今の、んっ?で察してください。何から何まで1人でやってる状態です(笑)。
そのタイで出会った日本人は今はタイにいるんですか?
普段はずっとタイコーリン工場で指導してます。2、3ヶ月に1回日本に戻ってきて、一緒に営業するんです。
無敵の営業ですね。すごい想いを積んでますからね(笑)。
戦後の日本人みたいですね(笑)。
わははは
彼はハゲでマッチョなんですが、彼と私が一緒に、まいど、って言いながら都内を回ってます。 今は、タイで作った色鉛筆を輸入して、細々と日本で販売してます。市場開拓中です。
これはすごいな。